第2節 損失補償
第5章 国家賠償法・損失補償
国や公共団体が適法な公権力の行使によって私人に損失を与えた場合、その損失を金銭等で補填する制度を損失補償といいます。違法行為を前提とする国家賠償と対比される重要概念です。損失補償は憲法29条3項「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」を根拠とし、国家賠償法のような一般法は存在せず、個別法(土地収用法など)に規定されています。この節では、損失補償の種類・根拠・対象を体系的に学びます。
損失補償とは
簡単にいうと
行政が適法に動いた結果、特定の人だけが財産上の犠牲を負うことがあります。その穴埋めが損失補償です。
損失補償とは、国や公共団体の適法な行政活動によって国民の財産に加えられた特別な損失を、金銭等で埋め合わせる制度です。
国家賠償との違い
国家賠償が違法な行政活動を対象とするのに対し、損失補償は適法な行政活動を対象とします。ここが両者を分ける軸です。
道路を造るために土地を強制的に収用するのは、法律に従った適法な行為です。しかし土地を失う人にとっては、社会全体の利益のために自分だけが負担を引き受けたことになります。この不公平を埋めるのが損失補償です。
「特別の犠牲」という考え方
補償が必要になるのは、特定の人だけに特別な犠牲を強いた場合です。国民が等しく受け入れている一般的な制約であれば、補償の対象になりません。
たとえば都市計画法による土地利用の制限は、その地域の土地所有者が等しく受ける規制であって、特定の人だけに課された特別の犠牲とはいえません。そのため損失補償は認められないとされています。
補償が問題になる場面
A県の収用委員会が収用裁決を行い、Xに対して「土地をYに引き渡せ」と命じるとともに、起業者Yに対して「補償金をXに支払え」と命じる、という形が典型です。処分そのものは適法ですが、Xが失う財産的価値は補償されます。
行政事件訴訟法で学んだ形式的当事者訴訟は、この収用裁決の補償額をXとYの間で争う訴訟でした。損失補償は憲法29条3項とも行政事件訴訟法ともつながる論点です。
具体例
道路の拡幅のためAの土地が土地収用法に基づいて収用された場合、収用自体は適法ですが、Aが失った財産的価値は損失補償の対象になります。

損失補償
重要メモ
- ・国家賠償は違法な行政活動、損失補償は適法な行政活動を対象とする点がポイント
- ・憲法29条3項が根拠。私有財産は正当な補償の下に公共のために用いることができる
- ・補償が必要なのは特定の人に特別の犠牲を課した場合で、一般的な制約には補償は不要
- ・都市計画法の土地利用制限は特別の犠牲にあたらず、損失補償は認められない
- ・収用裁決の補償額を争うのが形式的当事者訴訟という形で、行政事件訴訟法とつながる
損失補償の種類(公用収用・公用制限・行政行為の撤回)
簡単にいうと
損失補償が問題になる場面は3つあります。取り上げるのか、縛るのか、いったん与えたものを取り消すのかで分かれます。
損失補償が問題になる行政活動は、大きく3つに分かれます。
3つの類型
違いの見分け方
公用収用は所有権そのものを移してしまう方法です。財産を失うことがはっきりしているため、補償の必要性が最も分かりやすい場面になります。行政事件訴訟法で学んだ形式的当事者訴訟も、土地収用法に基づく収用裁決の補償額を争う訴訟でした。
公用制限は所有権を残したまま使い方を縛る方法です。土地は手元に残りますが、建物を建てられないなど利用の幅が狭まります。
行政行為の撤回は、いったん適法に与えた許可などを、あとから公益上の理由で取り上げる方法です。私人の側に落ち度がないのに権利を失わせることになるため、補償が問題になります。行政行為の撤回の制限と補償の議論とつながる場面です。
すべてに補償が必要になるわけではない
公用制限のすべてに補償が必要になるわけではありません。都市計画法の土地利用制限のように、その地域の所有者が等しく受ける制約は特別の犠牲にあたらないとされています。3つの類型は補償が問題になる場面の分類であって、必ず補償されるという意味ではありません。
具体例
A市がBに与えていた河川敷の占用許可を公益上の理由で撤回した場合、Bが正当に取得していた利益を一方的に失わせるため、損失補償が問題になります。
重要メモ
- ・収用は所有権ごと取り上げる、制限は使い方を縛る、撤回は既存の権利を消すという3類型がポイント
- ・公用収用の例は土地収用法に基づく土地収用。形式的当事者訴訟の対象と結びつく
- ・公用制限の例は都市計画法の都市計画地域における建築制限
- ・行政行為の撤回の例は占用許可の撤回。私人に落ち度がないのに権利を失わせる点で補償が問題になる
- ・収用と制限の2類型と覚えると誤り。撤回を含む3類型で押さえる
損失補償の根拠・一般法の不存在
簡単にいうと
国家賠償法にあたる一般法が損失補償にはありません。では個別法に規定がないときはどうなるのでしょうか。
損失補償には、国家賠償法にあたる一般法が存在しません。ここが国家賠償との大きな違いです。
個別法による規律
補償のルールは、土地収用法のような個別の法律ごとに定められています。どの場面でどれだけ補償されるかは、その事業の根拠となる法律を見なければ分かりません。
個別法に補償規定がない場合
問題になるのは、財産権を制限する法律に補償の規定が置かれていない場合です。補償を受けられないのでしょうか。
判例は、個別法に損失補償請求ができる旨の規定がない場合であっても、憲法29条3項を直接の根拠として損失補償を請求することができるとしています(河川付近地制限令事件/最大判昭43.11.27)。
憲法29条3項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と定めています。この規定があるため、法律が補償について何も書いていなくても、そのことだけを理由にその法律が違憲無効になるわけではなく、憲法を直接持ち出して補償を求める道が残されます。
出題のされ方
「個別法に補償規定がない以上、その法律は憲法29条3項に反して無効である」「補償を請求することはできない」という形の誤りの選択肢が作られます。規定がなくても憲法を根拠に請求できる、と押さえてください。
具体例
河川附近地制限令に補償規定がなくても、その規制によって損失を受けたAは、憲法29条3項を直接の根拠として補償を請求できます。
重要メモ
- ・損失補償には一般法がなく個別法で定められている点がポイント。一般法のある国家賠償との違いになる
- ・個別法に補償規定がなくても、憲法29条3項を直接の根拠に損失補償を請求できる(河川付近地制限令事件/最大判昭43.11.27)
- ・補償規定がないことだけを理由に、その法律が違憲無効になるわけではない
- ・憲法29条3項は「正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と定める
- ・規定がないから請求できないとする選択肢は誤りになる
損失補償の対象と方法
簡単にいうと
何が補償され、何が補償されないのか。そして補償はお金だけなのか。この2点が問われます。
補償の対象になる損失とならない損失があり、補償の方法にも幅があります。
補償の対象になるか
補償されるのは財産的な損失
補償の対象は財産上の損失です。土地を失うことに伴って営業ができなくなる損失は、金銭に換算できる財産的損失なので補償されます。
これに対し、長年住み慣れた土地を離れる精神的な苦痛や、その土地が持つ歴史的・社会的な価値は、経済的価値に換算できないため補償の対象になりません。精神的損失は補償されないという結論はそのまま出題されます。「例外的に補償される」とする記述は誤りです。
危険防止のための規制は補償されない
消防法や薬事法のように、危険を防ぐために課される規制(消極規制・警察規制)によって生じた損失も補償されません。その財産がもともと危険をはらんでいたのであって、社会全体のために特別な犠牲を払ったとはいえないからです。
国道の改築工事で地下通路が設置された結果、消防法違反の状態になったガソリンタンクを移設しなければならなくなった事案でも、移設にかかった費用は損失補償の範囲に含まれないとされました(ガソリンタンク事件/最判昭58.2.18)。
補償の方法
金銭による補償が原則ですが、代替地の提供による補償も認められます。金銭に限られるわけではありません。過去問では「土地収用では金銭による補償が義務づけられており、代替地の提供による補償は認められない」という誤りの形で問われています。
具体例
道路建設のためAの店舗用地が収用された場合、移転に伴う営業利益の損失は補償されますが、長年住み慣れた土地を離れる精神的な苦痛は補償されません。
重要メモ
- ・補償されるのは財産的損失。精神的損失と歴史的・社会的価値は対象にならない点がポイント
- ・土地収用による移転に伴う営業利益の損失は補償の対象になる
- ・危険防止のための消極規制で生じた損失は補償されず、ガソリンタンクの移設費用も含まれない(最判昭58.2.18)
- ・補償方法は金銭が原則だが、代替地の提供による補償も認められる(14-20-5 ×)
- ・長年住み慣れた土地を失う精神的損失は補償されない。例外的に補償されるとするのは誤り
まとめ
関連判例
河川附近地制限令事件
最判昭43.11.27「補償規定なし=違憲」は誤り。補償規定が欠けていても直ちに違憲にはならない(本判決) 「特別の犠牲」にあたる場合は、補償規定がなくても直接憲法29条3項を根拠として補償請求できる(直接請求の法理) ただし補償請求には「損失を具体的に主張・立証」することが必要 一般的制限(受忍義務の範囲内)→損失補償不要 vs 特別の犠牲(特定人への特別な犠牲)→補償必要、という対比が試験頻出 本件は**大法廷判決(最大判)**であることに注意(「最判」と誤記しないこと) 罰則規定も、補償規定がないことを理由に違憲無効とはならない
奈良県ため池条例事件
最判昭38.6.26憲法29条2項により、財産権は公共の福祉に適合するよう制限できる 条例による財産権の制限も、地域の特殊事情がある場合は許容される(法律に限らない) ため池の堤とうを破損・決壊させる使用行為は「財産権の行使のらちがい(埒外)」にあり、そもそも保障されていない 財産権の制限が受忍限度内であれば、憲法29条3項の損失補償は不要 注意:「財産権を制限すれば必ず補償が必要」ではなく、受忍限度を超えるか否かが補償の分かれ目 条例による罰則規定(憲法31条との関係)も合憲とされた点も押さえること(大阪市売春取締条例事件を引用)
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行政法の重要用語
不可争力
行政行為に対して不服申立てができる期間が過ぎると、私人の側からはもう争えなくなる効力のこと。
期限
行政行為の効力の発生または消滅を、将来確実に到来する事実にかからせる附款のこと。
公用制限
公共目的のために私人の財産権に制限を加えるが、所有権自体は残したままにする行政作用のこと。
行政不服審査法
行政庁の処分や不作為に対して、国民が簡易・迅速に不服を申し立てるための手続を定めた法律のこと。
行政罰
行政上の義務違反に対して制裁として科される罰のこと。刑事罰である行政刑罰と、金銭罰である秩序罰の2種類がある。
法律行為的行政行為
行政庁の意思表示によって法律効果を発生させる行政行為のこと。許可や認可など、意思の内容どおりに効果が生じる点が特徴。
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